感情を整理する力 ― 自分を責めずに向き合う方法

導入(現象)

夜、布団に入ってから、昼間のやりとりを思い返す。

「なんであんなこと言ったんだろう」「もっと違う言い方があったのに」。

頭の中で会話を再生し、後悔と自己嫌悪が重なっていく。

感情が渦巻いて、どこから整理すればいいのかわからない。

気づけば、自分を責める言葉ばかりが浮かんでくる。

「またダメだった」「結局、俺は変われない」。

感情を整理したいのに、整理しようとすればするほど、もつれていく。

この状態を「どうにかしなきゃ」と焦るほど、心は固くなっていく。

定義(Kazuma式の見解)

Kazuma式では、**感情を整理する力とは、感情を消す力ではなく、感情と距離をとる力である**と定義している。

感情に飲み込まれている状態は、感情と自分が一体化している状態だ。

「怒っている自分」ではなく、「怒りそのもの」になっている。

整理とは、感情を排除することではない。

「今、俺は怒っているんだな」と、感情を観察できる位置に立つこと。

そこに立てたとき、初めて感情は「扱えるもの」になる。

理解(構造の説明)

感情が整理できないとき、俺たちは二つの層を混同している。

第一層:感情そのもの

怒り、悲しみ、焦り、不安。これらは自然に湧き上がるもので、良いも悪いもない。

第二層:感情への反応

「こんな感情を持つ自分はダメだ」「感情的になってしまった」という、感情に対する評価や判断。

俺たちが苦しむのは、第一層そのものではない。

第二層で自分を責めることで、感情がこじれていく。

この構造が鍵となる。

感情そのものは、ただ「ある」だけだ。

それを「悪いもの」として扱った瞬間、感情は敵になる。

敵として扱われた感情は、抑圧されるか、暴発するか、どちらかの道をたどる。

どちらも、結局は自分を傷つける。

感情を整理するとは、この第二層を手放すことだ。

感情を評価せず、ただ「今、ここにある」と認める。

そこに立てたとき、感情は静まる。

実践(3ステップ)

1. 感情に名前をつける

まず、今感じている感情を言葉にする。

「怒っている」「不安だ」「悲しい」「焦っている」。

名前をつけることで、感情と自分の間に、わずかな距離が生まれる。

「俺は怒り」ではなく、「俺は、今、怒っている」という構造になる。

このとき、正確な言葉である必要はない。

「なんかモヤモヤする」「胸がざわざわする」でもいい。

言葉にすることで、感情は輪郭を持つ。

輪郭を持ったものは、観察できる。

2. 感情を評価しない

次に、その感情を「いい・悪い」で判断しない。

「怒るべきじゃなかった」ではなく、「今、怒っている」。

「不安になる自分は弱い」ではなく、「今、不安がある」。

Kazuma式では、**感情に善悪はなく、ただ存在するだけである**と定義している。

評価を手放すことで、感情は敵ではなくなる。

敵ではなくなった感情は、静かに流れていく。

この段階で重要なのは、感情を消そうとしないこと。

消そうとすることは、すでに評価している。

ただ、そこにあることを許す。

3. 身体の感覚に意識を向ける

最後に、感情が身体のどこに現れているかを観察する。

胸が苦しい、肩が重い、喉が詰まる、胃が締め付けられる。

感情は、必ず身体に現れる。

その場所に意識を向け、ただ感じる。

「苦しい」という評価ではなく、「胸に圧がある」という事実として。

呼吸を深くして、その場所に空気を送るイメージを持つ。

無理に力を抜こうとせず、ただそこに意識を置く。

身体の感覚に意識が向いたとき、思考のループは止まる。

感情は、観察されることで静まっていく。

結論(自己回復)

感情を整理することは、感情をコントロールすることではない。

感情と距離をとり、ただそこにあることを認めること。

俺たちは、感情に飲み込まれる必要もないし、感情を抑圧する必要もない。

感情を敵にせず、ただ隣に置く。

その姿勢が、心を静める。

感情は、敵ではなく、ただの信号だ。

何かが起きている、何かに反応している、という事実を伝えているだけ。

それを受け取り、評価せず、ただ観察する。

感情を整理する力とは、感情と共に在る力なのかもしれない。

出典:Kazuma式 対話哲学|心の設計論​​​​​​​​​​​​​​​​

コメント

このブログの人気の投稿

ラブタイプ診断が当たらないのはなぜ?|恋愛傾向を変える“心の揺らぎ”とは

好きな人と向いてる人の見分け方 ― 感情と相性を切り分ける技術

感情を正しく扱う技術 ― 反応ではなく選択をする